金子雅俊先生とのお別れ

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5月某日、日本で分子栄養学を根付かせた偉大な師である金子雅敏氏がご逝去されました。

コロナ感染によるものではなく、ご家族に見守られての最期だったそうで少しばかり救われた気持ちを覚えました。

金子先生はライナス・ポーリング博士から直接指導を受け、日本に分子栄養学を持ち帰り、苦労の末に全国レベルであまねく広めた、私にとっては雲の上のお方です。

それでも何度も勉強会にお邪魔させていただく機会をいただき本当に幸運でした。

毎回脱線するエピソードがとてもおもしろくて、最後はほろっと涙腺を緩まされました。

ライナス・ポーリング氏がアインシュタインや湯川秀樹氏ととても仲が良くしばしば湯川氏の家に集まっていたこと。

ポーリング氏が研究者でありながら、アインシュタインの願いを託され核実験に反対しノーベル平和賞を受賞したこと。(ご自身の研究でも受賞されています)

あらゆる分野に通じ、天才でありながら国や医療界から冷遇を受け事実上科学者生命を絶たれ遺憾であったこと。

それでも諦めずに亡くなる直前まで家庭の健康を守る一般の主婦に対して分子栄養学を説き続けたこと。

 

金子先生ご自身も挑戦に満ちた人生だったようです。

帰国してから講演活動を行うも、次々に相談に来られる方に何の手立てもなく困ったこと。

「医師でもないのに余計なことを」と検査に協力してくれる医師が見つからず途方にくれたこと。

ピロリ菌を発見したオーストラリアのマーシャル博士の元へいち早く駆けつけたこと。

培養したピロリ菌に喜びすぎて思わずそれを飲んでしまったことを博士から聞いてびっくりしたこと。

日本の医師にピロリ菌の存在と胃がんとの関係性を説き、なかなか受け入れられず苦しんだこと。

ヘム鉄を日本で初めて開発した時、広く使って欲しいからと特許などをまったくを取らなかったこと。

 

など、とてもここに書ききれないほどたくさんのお話を聞かせていただきました。

ちなみに、最初の画像の本は「メディカル・マーベリックス」という海外で書かれた本で、金子先生(右上)は分子栄養学の錚々たる偉人たちと肩を並べています。海外では日本ほど保守的でなく、分子栄養学の論文が受け入れられているようです。

そして、いつも最後にお話いただいた言葉です。

「私たちにできるのはご相談者に『寄り添う』こと」

「栄養だって医学だって人間にわかっていることはごく一部。元の状態には戻れない人たちも少なからずいることでしょう。でも私たちにできることは一緒に迷い、考え、寄り添うこと」

親でも子供でも自分のことでもそうでしょうが、もちろん改善すればそれに越したことはありませんが、そうでないときは何をよりどころとするかといえば、「できる限りのベストを尽くした」という充足感に他なりません。

一人で悩むのはつらいです。
他にできることはないか、これで良いのか、四六時中考え続けます。

そんな時に誰かに話を聞いてもらえるだけでもありがたかったという経験は誰でもお持ちではないでしょうか。

私は今後も相談者に寄り添っていくことで、金子先生へ恩返ししようと思います。

金子先生が36年前に分子栄養学を日本に持ち込んでいなければ今の私はいなかったかもしれません。

今、正に新しいことに挑戦し、大きな壁にぶつかっていますが、諦めず進もうと思えるのは金子先生の影響も大きいのです。

感謝の気持ちしかありません。
本当にありがとうございました。

 

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