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栄養療法は人生そのもの

先日帰省した際に、栄養療法のことである方とお会いしました。

70代の栄養療法を実践している友人のお知り合いで、昨年病気をしてから特に元気が無く、その友人の元気っぷりに「一体、何をしているの?」と日々思っていたそうです。私の友人も彼女の体調をとても心配していて、なんとか力になれないかという一心で私と引き合わせたのです。

でもサプリメントに対して一種のアレルギーをお持ちだそうで、これまでどのように不快な営業を受けてきたのかといったお話が続きました。

「うーん、話すいとまがない」

帰省のついでという体で訪問してはいますが、混雑するお盆にわざわざ新幹線の指定席を取ってまできたのだからと、割と強引に栄養療法の話を始めました。

どのように切り込んだか言い回しは忘れましたが、まず強調したのは、「目的」でした。

「栄養療法はいつまで続けるべきなの?」と質問を受けることがよくあります。

それは目的によって自分で決めればいい話なのですが、重篤な人ほどまず火消しに必死ですし、そもそも栄養療法自体が初めての人が多いですから、先のことを具体的に考えること自体無理ですよね。

たとえ同じ症状でも原因、年齢、生活習慣、正確によって栄養療法の実践方法も、その後の継続のしかたも変わってくるのは当然です。

その中でも最も大きな決定訴因は実は「原因」では無く「年齢」だと思います。

栄養療法では根治治療も見込めるものもありますし、対症療法的に症状を抑えるという選択肢も取れます。

そこは診療ガイドラインにのっとって治療方法が決められる保険診療と性質が異なる大きな点ですね。

当然ながら根治を目指すと時間もお金も労力もかかります。
それらの投資に見合うだけのメリットは得られるのかを考えると、ある程度お年を召した方には対症療法をお薦めすることも多いです。
痛みなどの症状を和らげるだけでも、生活の質はだいぶ変わりますから実践する価値は十分あると思います。

話を回りくどくしてしまいましたが、その方にお話したのは、栄養療法をするかどうかはその方の目的ありき、大きく言えば、人生そのものだというお話です。

少しでも生活の質を上げ余生を穏やかに過ごしたいのか、やりたいことを全うできるだけの体力まで回復させたいのか、はたまた老いを全面的に受け入れてありのままで過ごすのか・・・。
当然最後の選択肢を選ぶ方は栄養療法はいりません。

最初は反射的的だったのかその選択肢を口にされていましが、話をしているうちに「私も責任のある立場ですから・・・」とおっしゃり始めました。
そして、昨年患ったご病気のことも話し始めました。

おそらく心が揺れたのだと感じました。
勉強会のご案内にも興味をお持ちのようでした。

が、私はそれ以上、栄養療法のお話をするのをやめて帰途に着きました。

1年前の私であればしなかった行動ですが、それは栄養療法は「ご本人がするもの」だということがよくわかったからです。

私は必要な情報をお渡ししたり、励ましたりはできますが、本人が納得して、信じて実行し、半年ほどの時間軸で経過をみる覚悟がなければうまく行かないことに気づかされたからです。

それなりの覚悟がなければ続けない。
それなりの覚悟があれば、連絡をくださるだろう。

そう思ったことと、もう一つ自分なりの経験則からの思いもありました。

その方の「食べる行為」に対する優先順位の低さを改善すればそれだけで良くなる、とも思ったからです。
仮に栄養療法を始めたとしても、サプリメントだけに頼って食事をおざなりにすれば大きな効果は見込めません。

やはり人間は「食べる」という行為に物理的にも精神的にも大きく依存しているのです。

その方の話し方や風貌からタンパク質不足は明らかでした。
息を吸うときに音が聞こえるくらい肩を揺らして空気を肺に入れ込むのです。
話すという生理的な動作を支える筋肉も十分でないように見受けました。

お聞きすれば、魚は嫌いで、お肉も好き好んでは食べないとのことでした。

まずは豆や卵でもいいからタンパク質をできるだけ多く食べること。

実践していただけていたら嬉しいな。

今のところ、連絡はありませんが。

ひどい営業とまた会ったと言われていなければいいけど。
いえ、営業じゃないんですけどね、私(笑)。

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